Cositas Buenas 〜ちょっと素敵なこと〜

ちょっとハッピーなことや元気が出るものを紹介しています

祖母の死

20071019141333
10月9日に、祖母が亡くなりました。

お忙しい中、通夜・葬儀に参列して下さったみなさまや、供花・弔電で哀悼の意を表して下さったみなさまに、この場をお借りしてお礼申し上げます。
たくさんの方々に見送って頂いて、祖母も喜んでいると思います。
ありがとうございました。

供養の気持ちを込めて、祖母のことを書かせて頂きます。
私には、とうてい真似できませんし、足元にも及びませんが、あの生き方を見習い、あのように死にたい、と思わせてくれる人でした。
長文になりますが、お付き合い頂けると嬉しいです。

祖母は、明治44年生まれで、享年97歳でした。
足が少々悪いくらいで、惚けることもなく、達者な人でした。
明治の人らしく、全てにおいてキッチリしており、父の車で、毎日の医者に通う時も、髪をアップにまとめて、伯母が作ってくれた青か紫のスーツを着て、ワインレッド色のオーストリッチのハンドバッグ(その前は、私が新婚旅行でイタリアで買ってきた、バーバリーの青のバッグをボロボロになるまで使ってくれていました)を持って行っていました。

いつも背筋をピンと伸ばしており、外出の際は、28年前に亡くなった祖父に買ってもらった、ネジ巻き式の古いロレックスの時計と、ダイヤか翡翠の指輪をつけていました。
髪は黒く染めて、襟足の処理にも気を使う、お洒落な人でした。

多くを持たず、本当に気にいったモノだけを大事に使い、自分に似合うモノもよく知っていて、「ババくさい」ものは、全く身につけない、孫の私が言うのもなんですが、趣味の高い人でした。

それゆえに、「これ、おばあちゃんに」と思って買って行っても、気に入らなければ、「わて、こんなん、ようさん持ってんねん。誰かほかの人にやって。気持ちだけもらっとくさかい」と言って、受け取ってくれませんでした。
だから、使ってもらえる時は、「ビンゴ!」という気分で、嬉しかったです。

亡くなったその日は、朝から変わりなく元気だったのですが、夕方、お風呂に入っている時に具合が悪くなり、倒れました。
かかり付けのお医者さまが来て下さった時には、意識が戻り「大丈夫やから、帰って下さい。えらい、すんませんな」とハッキリ言ったそうです。しかし、30分後に苦しみ出し、再度、先生が来て下さった時には心臓は停止しており、先生の付き添いのもと、救急車で病院に運ばれて、20:23分に死亡が確認されました。。。

最期は、私の父、母、妹、伯母に加え、祖母の曽孫にあたる4人のチビたちにみとられて逝きました。
私だけが臨終に立ち会うことができず、そのことが私にとっては心残りなんですが、おばあちゃんとしては、自分の家の畳の上で往生できたので、恐らく「良い逝き方」なんでしょうね・・・。

実は、今年の正月の夢で、私は祖母の寿命が短いことを教えてもらっていました。

実家に泊まって寝ている私の肘を、誰かが引っ張りました。起きると、祖母が枕元で正座をしていました。
私が「おばあちゃん、足痛いのに2階まで上がってきてくれたん?」(有り得ないことなんでビックリして)と聞くと、
祖母は「出来る時に出来ることをしとかんとアカンさかい」
と、答えました。

目覚めると、朝の4時でした。夢だと分かりましたが、「ばあちゃん、逝ってしまったか?」と、焦り、朝になるのを待って実家に電話をしました。
母が出て「元気やで〜」と言うので安心したのですが、その後すぐに祖母はしんどくなってしまい、恒例の墓参りに行けなかったのです。今、考えると、それが始まりでした。

その後、ふと意識を失い、大汗をかいて気がつくという発作を起こすようになりました。夢のことがあったので、私は「今年に逝ってしまうのでは・・・」という不安が、いつも頭の何処かにありました。

9月30日にマンサニージャさん主催の心斎橋でのライブに出演させて頂いたのですが、その時に、祖母は、家族・親族一同と共に観に来てくれました。
おじ・おば達も、「久子ちゃんのフラメンコの御陰で、最後におばあちゃんに会えた」と喜んでくれました。

祖母は「車椅子やし、迷惑かけるさかい」と、行くのを渋ったのですが、マンサニージャさんの配慮で、一番前の席を車椅子用に空けて下さったので、「せっかく一番前を空けてくれはってんから・・」と、私は父と祖母を説得しました。
当日は、朝から小雨がぱらついており、タクシーを降りた後が大変、と父は渋っていたのですが、リハが始まる頃には、うまい具合に雨も止んでくれて、私はなぜか絶対に来てもらいたい!と強く思ったのでした。
祖母に、「おばあちゃんに来てもらいたいねん!」と電話で話しながら、訳もなく涙ぐんでいました。

祖母は一番前のド真ん中の席に着いたので、舞台からも様子はよく見えました。
少し、しんどそうだったので、帰り際に、「おばあちゃん、しんどくない?」と聞くと、「大丈夫や。綺麗やった。あんたが一番キレイやった」と、ババ馬鹿丸出しで褒めてくれました。

うちの家は、祖母を中心に回っていました。
おばあちゃんが居ないと、こんなに頼りない空間なんだ、と、今、改めて祖母の存在の大きさを感じています。

寂しいですが、残された者は、意志を継いでしっかり生きていくことが務めであり、一番の供養になると心に刻んで、生きていきます。

私の座右の銘は
「出来る時に出来る事をしとかんとアカン」になりました。

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Author:YASSAN
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